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zoom RSS 三国志・第五部(三分帰一) 【中国・台湾系ドラマ】

<<   作成日時 : 2010/01/26 17:28   >>

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三国志

★『三国志・第五部(三分帰一) 』
時は二世紀後半の後漢末期、魏・呉・蜀の三国時代。朝廷は皇帝の一族と宦官らに牛耳られ、政治は腐敗しきっていた…。世を憂いた劉備・関羽・張飛の3人は桃園にて義兄弟の誓いをたて、立ち上がる…。制作費100億円、出演者10万人、制作年数4年! 中国最高賞をすべて受賞。空前のスケールで描く中国最高の歴史ロマン「三国志」の決定版!話数は第一部、第二部、第三部、第四部からの続きです。

☆第五部(三分帰一) 第78集 「詐病賺曹爽」司馬氏、魏王朝の実権を握る
魏の景初三年正月、死の床にあった曹叡は曹真の子息曹爽を大将軍に任じ、朝政を委ねた。そして、臨終間際に司馬懿を呼び出して後事を託した。曹叡亡き後、曹芳が帝位に就き、大将軍の曹爽が実権を握った。司馬懿の存在が邪魔な曹爽は、司馬懿の失脚を狙った…。

☆第五部(三分帰一) 第79集 「呉宮千戈」孫権死し、呉王朝乱れる
呉の神鳳元年、中興の祖孫権が享年七十一歳で天に帰した。遺命を受けた諸葛恪は孫亮を帝位に就け、後ろ盾として実権を握った。孫権死すの報に魏の司馬師はすぐさま兵を起し呉征討に出た。呉の守将丁奉は、戦線の後退を主張する幕僚達を抑えて、徹底抗戦一歩も退かすとの覚悟で魏軍を迎撃した…。

☆第五部(三分帰一) 第80集 「兵困鉄籠山」姜維北伐、鉄籠山に司馬昭を追う
蜀の廷熙十六年秋、蜀の将軍姜維は恩師諸葛亮の遺命を果たすべく二十万の兵を率いて北伐を再開した。魏は、司馬昭を大都督に、徐質を先鋒に立てて蜀軍迎撃に出た。隴西での決戦で姜維の策の前に魏軍は大敗を喫し、徐質は戦死、司馬昭は鉄籠山に追い込まれた…。

☆第五部(三分帰一) 第81集 「司馬昭式君」姜維、ケ艾、鐘会ら、名将激戦す
鉄籠山で惜敗を喫した姜維だったが、すぐさま体勢を立て直して祁山に兵を向かわせた。魏の大将軍となった司馬昭はケ艾に祁山の死守を命じ、自らは鐘会と共に渭水南岸に陣を敷いた。姜維は諸葛亮直伝の八卦の陣を駆使して祁山でケ艾の軍を翻弄した。蜀軍の強さに、正攻法では不利とみたケ艾は謀略戦に出た…。

☆第五部(三分帰一) 第82集 「九伐中原」姜維、最後の北伐
蜀の景燿五年、姜維は九度目の北伐に出陣した。緒戦で魏軍の兵糧集積地を襲い、羌族と謀って持久戦に持ち込む策であった。しかし、蜀軍の策を看破したケ艾率いる魏軍との激戦で副将夏侯覇を失った。そこで、姜維は張翼に命じて手薄になった魏軍の本陣を攻撃させ、祁山奪回まで後一歩まで迫ったのだった…。

☆第五部(三分帰一) 第83集 「倫渡陰平」名将ケ艾、摩天嶺を越え、成都陥落す
剣閣で行く手を阻む姜維の軍に苦戦を続ける魏軍の陣営では、ケ艾と鐘会の間に確執が起こった。元来野心家の鐘会と叩き上げのケ艾は対抗心も強く、互いに腹の探り合いを繰り広げていたのだった。そんな中でケ艾は陰平から摩天嶺を踏破して成都を奇襲する策を提案した…。

☆第五部(三分帰一) 最終集 「三分帰晋」魏、呉、蜀滅び、幾百の英傑は神となる
姜維は剣閣の砦で成都陥落の報に接し、廖化、張翼と共に諸葛亮の位牌に蜀滅亡の報告をするのだった。諸葛亮の遺志を守らんとする姜維は、漢室再興の秘策として、野心家の鐘会と共謀して成都奪回を狙うのだった。鐘会は姜維と義兄弟の契りを結び、剣閣の砦に入った…。

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